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声優名 葵シャルドネ  [ 声優詳細情報 ]
価格 1890円 文字数 1585文字
サイズ 3954.5 KB 公開日 2010年6月15日
声のタイプ 姉さん ファイル形式 mp3
売れ行き
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作品内容  山辺町のPeace of Smile 21でのナレーションです。

台詞
2000年12月31日。この日、新世紀の幕開けを共に歩もうとする人たちが集い、年が明けた2001年1月1日。この瞬間、山辺町(やまのべまち)のシンボル、「平和の鐘」がはじめて鳴り響きました。

町全体を包み込むように奏でる鐘の音(ね)…平和のシンボルとされながらも、その歩みは(1秒ブランク)決して、平坦な道のりではありませんでした。

(00:50)明治2年6月19日、当時の高楯村である現在の山辺町(まち)高楯(たかだて)地区に住んでいた、安達久(あだちひさし)と、しうご夫婦の間にひとりの男の子が産声を上げました。その子の名前は「峰次郎(あだちみねじろう)」。その男の子は成人した後に名を変え、日本の世界を結ぶ架け橋として外交官をはじめ、メキシコ、ベルギーやフランスの大使を歴任した彼の名は、山辺町が誇る偉人、「安達峰一郎(みねいちろう)博士」です。
安達博士の功績は高く評価され、昭和6年には世界に羽ばたき国際連盟の常設国際司法裁判所の所長に就任。またその道のりには国際連盟では日本の代表として、大正から昭和初期にかけた時代、厳しい世界情勢のまっただ中にも関わらず、国際紛争の解決などに果敢に努力され、世界から多大なる貢献を認められた結果です。
安達博士がこの世を去ったのは昭和9年。65歳でこの世を去り、オランダでは外国人では異例とされる「国葬」という形で人々に愛されながら生涯を全うされました。
安達博士が誕生してから約130年の月日がすぎた頃、山辺町では安達博士に敬意を称して、博士が所長を勤めていた国際司法裁判所をイメージとした役場庁舎を建設しました。しかし、建物中心の塔屋(とうや)に設置される予定だった「鐘」が、町の財政難を理由として先送りとされていたのです。
これを目の当たりにして、胸を痛めたのが、山辺町在住の藤原庄八(ふじわらしょうはち)さん。藤原さんは「山辺町に平和の鐘を響かせたい」という熱い想いから自ら立ち上がり、1999年に「山辺町から21世紀の平和の鐘を響かせる会」を発足。有志の方々と一緒になって山辺町を駆け回り、山辺町にゆかりのある方々から寄付金を募りました。そして1年が過ぎた2000年12月に「平和の鐘」がついに完成。
藤原代表達の想いを知った町内30、40代の若手の有志7人を中心に実行委員会が組織され若手が続々と集結しました。21世紀の幕開けの瞬間と平和をテーマにした、この「Peace of Smile 21」(ポスターを載せる)が開催されることになりました。新世紀の始まりに平和の鐘が鳴り響き、多くの仲間とその一歩を祝いました。

こちらが当時のPeace of Smile 21の様子です。

イベント開始と新世紀の幕開けまで残り3時間のカウントダウンセレモニーです。
実行委員長をはじめ、町長や議長、県議会議員に平和の鐘を響かせる会の方々の手で行いました。

会場では色々な催し物が行われ、多くの人々で賑わっています。

サッカー的当てゲームのひとコマです。

当時の山辺小学校4年生と山辺中学校1年生の有志の手による歌声も披露。元山辺小学校教諭 大木 誠(おおき まこと)さんの作詞作曲である「ぼくらの未来へ」が歌われました。

寒い中、集まって頂いた方の体を温める「うまいものまつり」で鍋や年越しそばにお酒の2000食分が振る舞われました。

新世紀の幕開けと共に結婚式を祝う「ア・ハッピーニューセンチュリー・ウェディング」と称する珍しい企画もありました。多くの人々の前で、永遠の愛を誓った一組のカップルが誕生しました。新郎 成原 史章(なりはらふみあき)さんに新婦 夕子(ゆうこ)さんのお二人です。

1869年から2000年、2001年。そして2010年。平和への想いをバトンタッチ。

さらに未来へ――――

そして10年の時を刻んだ2010年

平和の鐘が鳴る、やまのべから世界へと――――


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